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エッセイ「私の東南アジア観」
1995年5月5日 畑敬介著


歴史的に見ると、東南アジアはシナ(中国)とインドの巨大文明に挟まれた弱小文明地域であった。それは過去の人口数からもうかがうことができる。時代により、シナ、インドのより強いほうの文明の影響を交互に受けつつ、東南アジア文明はハイブリッドに形成された。東南アジアの言語、料理、文化、習慣等を見ていると、地域により程度の差こそあれ、どちらかの文明の影響を垣間見ることができる。近代、さらに西欧文明の影響が加わった。

私はここで「光の三原色」ならぬ「文明の三原色」を提唱したい。すなわち@シナ文明色、Aインド文明色、B西欧文明色である。ハイブリッドな文明・東南アジアを理解するには、これら「文明の三原色」の混ざり具合を見ればよい。
地理的な要因もあって、現在のミャンマーにあたる地域はインド文明色が強く、ベトナム・ラオスはシナ文明色が強い。タイ、マレーシア、シンガポールは、これら「文明の三原色」が比較的バランスよく混合された地域と言えるであろう。東南アジア諸国の中で、これらの国が政治・経済的に安定しているのは「文明の三原色」の混合の程よさに起因していると、私は観ている。

ただ、タイとマレーシア・シンガポールの文明色の混ざり具合は異質である。マレーシア・シンガポールでは、各文明色が独自の色を保ちつつ程よい配合で共存しているのに対し、タイの方は各文明色の融合が進んでいると感じられる。マレーシア・シンガポールにて、現地の華人に対し「あなたは何人ですか?」と問うと、若者を含め「私は中国人です。」という回答が得られる。中には「広東」「客家」などエスニック・グループ名での回答さえある。ところがタイにおいて同じ質問をすると、一部の年寄りを除きほとんどが「私はタイ人です。」と答える。この回答に、私は東南アジア諸国内での「タイの特異性」を感じる。

この三つの文明色の融和こそが、タイ人が所有している「抜群のバランス感覚」を創り出しているのではないか。日本人的見地からタイ人を見た場合、彼らの所作は柔軟すぎて頼りなく見えてしまうことがある。しかしながら、それは巨大文明の狭間を生き抜くという長い歴史の中で、培われてきた「知恵」であり「生きる術」なのである。この「抜群のバランス感覚」故に、二度の世界大戦を通じ、タイは東南アジアの中で唯一独立を保つことができたのであろう。同じアジアの中では日本も独立を保ったが、その形態はタイと全く異質である。



エッセイ「私の東南アジア観追考」
2000年5月5日 畑敬介著


「私の東南アジア観」を書いてから5年。この間、私は、タイ国駐在・留学、ラオス・ベトナム・ミャンマー・マレーシア・シンガポール・インドネシア・フィリピンの視察周遊を経験し、東南アジア観に変化があった。

以前、私は東南アジア理解のキーワードとして「文明の三原色」、すなわち@シナ文明色、Aインド文明色、B西欧文明色を提唱し、これらの混ざり具合を見ることが、東南アジア理解の鍵だと述べた。また、タイ、マレーシア、シンガポールは、「文明の三原色」が比較的バランスよく混合された地域であると考え、タイとマレーシア・シンガポールの違いについては、文明色の混ざり具合が異質であることに起因していると述べていた。

しかし、5年の間に自らの説に釈然としないものを感じるようになり、その原因を突き詰めるうち、「文明の三原色」に含まれないもうひとつの「文明色」の存在を認めるに至った。「イスラム文明色」である。これを含めた「文明の四原色」でなくては、真に東南アジアを理解することはできない。ただ、「イスラム文明色」は他の三色に比べ特殊で、他との融合が難しい。マレーシア・シンガポール・ブルネイ・インドネシアには多くのムスリム(イスラム教徒)が存在する。タイ南部の一部にもムスリムが多く居住する地域があるが、その数は総人口のほんの5%程度にすぎない。これがマレーシア・シンガポール・ブルネイ・インドネシアがタイに比べ、文明融合が進んでいない原因ではないかと思われる。



エッセイ「日本とタイ-独立保持を決定付けたそれぞれの要因-」
2000年7月7日 畑敬介著


「日本」「タイ」「ブータン」。植民地時代そして二度の世界大戦を通じ、西欧列強に食い物にされてきたアジアにあって、独立を保持した希少な3ヵ国である。この場では、ブータンの事例は置いておき、日本とタイの事例について考察してみる。独立を保ったという事実は、ある意味結果論であり不毛な考察かもしれない。しかしこの2ヶ国の独立保持を決定づけた要因は全く異質といってよい。

人の人生を決定づける要因は、「才能」「努力」「運」だと言われる。私はここにもう一つ「バランス感覚」を加えたい。国を動かすのはいつの時代も人である。「才能」「努力」「運」そして「バランス感覚」、この四つのキーワードをもって、以下に日本とタイを考察してみようと思う。

日本は明治以降、富国強兵と殖産興業を合言葉に近代国家建設の道を邁進した。日本がこれを成し遂げたのは、ある程度の「才能」と多大な「努力」によってであった。天然資源が少なく、欧米諸国に出遅れた日本は、「頑張ろう」をかけ声にただ走ってきたのである。その「努力」に「運」がついてきたので、国力を伸ばすことができた。しかし「バランス感覚」を欠いていたため、明治・大正で蓄積した国の富を、太平洋戦争の敗戦をもって全て喪失したのである。戦後の奇跡的復興も同じく、ある程度の「才能」と多大な「努力」、それに付随した「運」により成し遂げている。

一方、タイは、シナ文明とインド文明という二つの巨大文明に挟まれ、自己の「才能」や「努力」など知れているということを肌を持って知っていた。むしろその中でいかに生きるべきかという「バランス感覚」を磨いてきた。これは島国である日本が大いに欠いている能力だ。第二次大戦中、タイは日本の同盟国であった。しかしロシアの対日宣戦布告・満州進出を機に、日本へ宣戦布告し連合国側についたのだ。タイは「バランス感覚」と「運」で敗戦国の立場を逃れた。天皇万歳・大東亜共亜圏を唱え、闇雲に突っ走っていた日本とは対照的で、柔軟かつ鮮やかな身の処し方であったと言える。戦後もまた、この「バランス感覚」と「運」をもって、外国の援助・投資をうまく受け入れながら「東南アジアの優等生」としての現在の地位を確立している。

以上のように、日本とタイの独立保持は、結果論では似て見えても、その進退を決定付けた要因においては全く異なっている。この事実を理解しておくことは、日タイ相互理解のための重要な鍵であると私は考える。













 

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