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インタビューより一部抜粋
2002年8月24日帝国ホテル大阪にて
Q1.簡単な略歴をお話しください。
A1.富山県出身。京都大学農学部を卒業後、現地のタイ語学校に入学しました。タイ語を習得した後は、タイ国現地法人システムインテグレーターでの勤務、日系製造メーカーのバンコク駐在員としての勤務を経験しました。その後、タイ国チュラロンコン大学ビジネススクール
SASIN にて経営学修士号(MBA)を取得しました。帰国後、ビジネスを通じ「東南アジアと日本の懸け橋になりたい」との思いから、Zipangu
Limitedを設立しました。
Q2. なぜ東南アジア(タイ国)に興味を持ったのですか?
A2.1989年にヨーロッパ旅行に行く途中、トランジットでタイに立ち寄ったのがきっかけです。タイは高度成長の真只中。首都バンコクはすごい活気に満ちていて、まるで街全体が走っているような印象を受けました。私が大学生活を送っていた古都・京都のたたずまいとのギャップで余計にそう感じたのかもしれませんが。北部農村地帯のどこかしら懐かしい風景や人々の優しさにも、バンコクとは違った感銘を受けました。以後、東南アジアの事をもっと知りたいとの思いから、京都大学の「東南アジア研究センター」に出入りするようになりました。大学の専攻は農学だったのですが、東南アジアの政治、経済、宗教、言語、文化等々を幅広く勉強しました。だから「京都大学東南アジア学部卒」といった方が、自分ではしっくりきますね。
Q3.タイ語はいきなり現地で学ばれたのですか?馴染みがないからか難しい感じがしますが、習得のコツなどあればお聞かせ下さい。
A3. 大学で東南アジア研究センターに出入りするうちに、タイ人留学生の友達ができました。彼らとの交流を通じ、日常会話くらいはできるようになりました。現地への語学留学を決意したのは、本格的なタイ語を身につけたかったからです。渡タイ後しばらくは、1日15時間くらい勉強しました。しかし、勉強した言葉を使って現地の人と話すのが楽しくて仕方なかったので、全然苦になりませんでした。3ヶ月目には、自然にタイ語で考え、話している自分に気がつき、びっくりしました。無理やりやらされて勉強するのではなく、「理解してわかりあいたい」という強い気持ちがあればきっと話せるようになります。やはり一番大切なのは「ハート」ですよ。
Q4.大学の専攻と違い、コンピューター関連の会社に就職されたのはなぜですか?
A4.2つ理由があります。
1つ目には、友人を介して知り合った、会社オーナーである武智氏の人柄に惹かれたからです。氏の傍にいることで、多くを学ぶことができるという思いから、その会社で働くことを決意しました。
2つ目には、コンピューターに大きな可能性を見出したからです。しかしながら、ほぼ「ゼロからの出発」でした。ボクシングに例えるなら「ジャブも満足に打てないのにリングに上がった」ような心境。新しいことを始めるのはエネルギーを要し大変です。しかも立ち上げたばかりのベンチャー企業で、手取り足取り教えてもらうこともできませんでしたから。でも、新しいことにチャレンジしていること自体が好きなので、問題ありませんでした。
Q5. 日系製造メーカーの現地駐在員として勤務しておられた時のことをお聞かせ下さい。
A5. 日系製造メーカーが買収したタイ国現地法人に出向していました。その会社の管理部門は、マネージャクラスに外国人男性がいるものの、95%がタイ人女性という特殊な会社でした。
私はその中にいて、社長補佐業務、通訳業務、日タイ両社の窓口業務、財務分析レポート作成業務などを担当していました。いつもタイ人と日本人の狭間で両者のリエゾン(フランス語で「つなぐ」の意)役を果す事を求められました。
リエゾン役を務めながら、買収した現地法人が日系製造メーカーにスムースに統合されるにはどうしたらよいかを絶えず考えておりましたが、日タイ間のマネジメントスタイル・文化等の違いから一筋縄にはいきませんでした。そのような環境下で仕事をしていたので、「タイ人と働く」ということについても、よく考えました。
Q6. ビジネススクール入学を決意されたのはなぜ?また、数あるビジネススクールの中でタイ国のSASINを選択されたのはなぜですか?
A6. 以前から将来的に東南アジアコンサルタント会社設立を考えおり、ひととおりの社会経験を得た後は、ビジネススクールにて経営者として必要な経営全般の知識を体系的に習得したいと考えていたからです。タイ国のビジネススクールを選択したのには、3つの大きな理由があります。
1つ目には、東南アジアが好きだったからです。中でもタイ国のSASINを選択したのは、BusinessWeek紙によるビジネススクール・ランキング
No.1 ウォートン、No.2 ケロッグ、タイ国 No.1 チュラロンコン大学、3校による共催プログラムであり、教授陣・学生たちのレベルが高いと思われたからです。
2つ目には、SASINで勉強することで、東南アジアの明日をになう若者達とのネットワークを構築できると思ったからです。東南アジアビジネスにおいては、人的ネットワークがとても重要ですから。
3つ目には、「東南アジアの明日をになう若者達」と共に学ぶことで、経営学のみならず東南アジアの人々や文化についての理解をも深めることができると思ったからです。
余談ですが、ビジネススクールでの勉強は本当に大変でした。状況を知っていたら入学しなかったでしょう。しかし、その中で助け合い培った「友人関係」は、最大の財産だと思っています。
Q7.ビジネスクールではどんな事を学びましたか?
A7.ファイナンスを専攻し、「グローバルスタンダードな米国式の財務会計、管理会計、企業財務、国際金融、デリバティブ、M&A等」を学びました。ケーススタディを通じ東南アジアのビジネス全般について知識を深めました。
SASINでの勉強は、欧米のビジネススクールに比べ、「グループワーク」が主体です。他の学生たちとチームを形成し、共同で作業することなしに卒業することができません。この過程で、「東南アジアの明日をになう若者達」とのプロジェクト運営を経験しました。SASINでは、ファイナンス・マーケティング・プレゼンテーションなどそれぞれの分野でのスペシャリスト達に出会いました。彼らの多くは、高校時代から欧米で英才教育を受け、名立たる投資銀行・コンサルタント会社を経て、入学してきています。彼らの作成したレポートには、努力で補えるレベル以上のものを見せ付けられました。その中で自分には特殊な能力がないこと、だからこそ絶えず努力精進していくことが必要だということを思い知りました。「無知の知」を学んだと言う事でしょうか。
Q8.「経営理念」についてお話ください。
A8.天然資源、食料の豊富でない日本が存続していくには、友人となる国が不可欠です。経済的には世界に名だたる国になりましたが、コミュニケーションが拙いことから、他国にはよく理解されず、「真の友人関係」を構築していないように思われます。
世界には多くの国がありますが、地理的・歴史的要因から東南アジア諸国は、日本にとって最も重要な国々です。ところが日本政府の対応を見ていると、欧米諸国に主に目を向けている感があります。確かにそれはわからないでもないですが、もっと東南アジア諸国との関係構築に力を注ぐべきだと思います。私自身の力は非力ですが、ジパング社の業務および東南アジアグループの活動を通じて、「東南アジアと日本の懸け橋」を造る一つのきっかけになれたらと願っています。またその活動を通じ、お世話になった東南アジアの人々に少しでも「恩返し」ができたらと考えています。
Q9. ジパング社ロゴおよび社名の由来についてお話しください。
A9. 私は地図を眺めるのが好きで、中でも特に「大航海時代」の地図が好きなのです。当時の地図は、現代のものに比べ正確さや洗練度では劣りますが、「ロマン」にあふれています。それで「大航海時代」の地図からロゴを作成したいと考えました。副社長の高木と話し合いながらデザイン作成を試みましたが、ロゴとしては複雑すぎ納得がいくものができませんでした。
ある時、ふと地図の片隅に書かれた「羅針盤」が目につき、これからジパング社のロゴを思いつきました。ロゴ上部は、黄金の国「ジパング(理想郷)」を象徴してします。ロゴ下部は、「羅針盤」を象徴しています。これらを合わせ、皆様の「ジパング(理想郷)」への「羅針盤」でありたいとの思いを表現しています。
Q10.あなたの人生のモットーは?
A10. 「心は少年」です。人間は年をとるにつれ知識・経験は増え、ある意味で賢くなっていきます。しかし、その一方で大事なものを失いがちです。青臭いかもしれませんが、「少年時代」に持っていた感性を失いたくはありません。仕事でもプライベートでも、いつも何か新しいことを求めて「わくわく」しながら「宝さがし」をしていたいと思っています。私にとって「宝」は必ずしも「金銀財宝」を意味しません。
「こんな面白い人に出会えた。」
「付き合ってきた彼・彼女の今まで知らなかったいい部分を見つけた。」
「すばらしい風景に出会えた」
「こんなおいしいレストランを見つけた。」
「今まで出来なかったことが、練習を積み重ねることでできるようになった。」
それぞれが、私にとっての「宝」です。そんな「宝探し」をしている瞬間が楽しいのです。それは「少年」の頃に、くわがた虫を捕まえていた気持ちと変わりません。
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